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バローチスターン丘陵

 パキスタン西部に連なるこの丘陵とその山麓沿いには、一部で紀元前7000年にまでさかのぼる頃から初期農耕村落文化が栄えていた。地理的にはイラン高原とインダス平原の境界に位 置し、そこには西方の影響を色濃く見て取ることができる。

 

メヘルガル

 パキスタンのバローチスターン州北部の州都クエッタから南東へ、ボーラン川に沿ってカッチ平原へと下る峠の出口に位置する。ボーラン川右岸に四地点の遺丘を残す遺跡は、フランス隊によって1974年から85年までの11年かけた調査が行われた。  前7000年頃の先土器新石器文化から前2500年まで継続する1〜7期に分けられた文化層は、インダス文明と接触するころに一時期放棄されたのち、前2000年を過ぎたころに付近住民の墓地となる。
遺跡の特徴は、長い居住期間の間に、初期の農耕生活から次第に発展して、権力機構の存在を示す基壇を持った広さ200ヘクタールの地方盟主的町へと発展していく様子を一遺跡のなかで示している点にある。多彩な土偶の出土や周辺地域に向けた土器製作センターであったことも注目されている。

 

ナウシャロー

 メヘルガル遺跡に隣接したカッチー平野に位置し、1980年よりフランス隊によって調査される。前2800年ごろより前2000年ごろまでの先ハラッパー期からインダス文明最盛期まで居住される。当初はメヘルガル遺跡同様のバローチスターン文化を携えていたが、前2500年頃以降の2期に至って平原部より進出してきたインダス文明遺跡へと移行する。しかし、前2100〜2000年頃の4期には再び1期の残映を強く残すバローチスターン文化が再登場する。 また、ナツメを除いたコメなどの夏作物は、インダス文明の本来の領域から外れた前2000年以降のナウシャローやピーラクのカッチー平野で始まる。