メールはこちらまでhome地図リンク集年表スタッフ紹介サイトマップIndus Civilization とりまく環境あけぼのインダス文明後継者たち

 

コート・ディジー

パキスタンのシンド州の北部、モヘンジョ・ダロから東北東60キロ、インダス川の左岸に広がる石灰岩台地の縁に位置する。1955年にF・A・ハーンによって発掘される。首が短く、球形の胴部を持ち、首の下から肩にかけて黒色の帯が塗られる短頸球状壺を特徴とするコート・ディジー文化の上層にコート・ディジー文化とハラッパー文化の土器が混在する時期を経て、インダス文明のハラッパー文化が発見された遺跡。
  コート・ディジー文化の層より、すでに市街地と分離された城塞がつくられ、規格化された泥レンガ、三角陶板、魚鱗文や交差円文の土器彩文など、後のインダス文明に引き継がれる文化要素をもつことから、コート・ディジー文化はM・R・ムガルによって初期ハラッパー文化と呼ばれる。

 

アムリ

パキスタンのシンド州南西部、西方の丘陵が最も東に張りだした麓に位置する。1929年にN・G・マジュムダールと、1959〜62年にJ・M・カザルによって発掘された。  下層のバローチスターン農耕文化の1c期に規模が最も拡大して、6ヘクタールの遺跡全域に住居が建てられる。穀物貯蔵庫と思われる建物も数多く現れ、人口の増大と余剰生産物の収納が見られる。その後、ハラッパー文化と共存する2期の後半に、集落は壁に囲まれ、その内部に日干しレンガによる基壇が現れる。2期の上には火災のあったことを示す灰層を間に挟んで、3期のハラッパー文化・インダス文明へと移行する。  アムリ遺跡初期の土器彩文は、バローチスターン丘陵南部のナール式土器と多くの類似点を持ち、アムリ・ナール式土器とも呼ばれる。

 
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