インダス文明における印章研究の新視点

野口雅央

1.はじめに

近年の外国考古学の問題点=放射性年代測定法を重視する傾向。

→ 遺物の型式変遷や共伴関係を考察せず安易な採用は大変危険。

インダス式印章=インダス文明を代表する遺物であり、文明期を通じて長い期間使用された。また、メソポタミアなどの遠隔地においても若干数の出土が報告されている。

→ 編年の基礎となる型式変遷を設定するのに非常に有効な資料。 → 印章裏面、とくに鈕の形状の変遷に着目。

新たな視点の提示=紐の型式学的変遷に基づく更なるインダス式印章研究の可能性。

2.分析資料

  1. パキスタンに保管されている印章のうち、筆者が実際に現地で確認した50点
  2. 〔Joshi and Parpola:1987; Shah and Parpola:1991; Cook:1994〕から鈕の形状が確認可能な133点。

 以上、総数183点。なお、鈕があっても穿孔が施されていないものについては、筆者はインダス式印章においては「穿孔」がなされることで初めて「鈕」として機能するものと考えているために未完成品として扱い、今回の分析対象には含めていない。また長方形で印章自体に穿孔が施されているもの(=コンベックス・タイプ)や外来産と考えられる印章(後藤:1999)についても除外した。

分析対象とする資料は全てモヘンジョ・ダロ、及びハラッパーから出土したものである。他の遺跡出土の印章に関しては、出土数が少量であり、その中でも鈕の判別がつくものはごく僅かでしかないという理由からここでは扱っていない。なお、インダス文明全体で知られるおよそ2000点の印章のうち、その9割近くは上記の両遺跡からの出土で占められている。

3.分析方法―形式設定と製作工程の再検証―

鈕の形状に基づいて、以下の6型式を設定した(図1)。各型式は、大きく3つに分けられる。すなわち、I類=鈕に溝を持たないもの、II〜IV類=鈕に溝をもつもの、V類=鈕を持たないもの、である。以下、それぞれについて特徴を述べる。

I類鈕に溝を持たないものは、その文様によってさらに以下のような細分が可能であった(これに類似する型式の鈕を持つスタンプ式印章がメヘルガル遺跡のVII期から出土していることは注目に値する)。
I−a類幾何学文のみを持つ一群。一部の文様は文明成立以前のバローチスターン丘陵以西の広い地域で見られ、後藤が「中央アジア式印章」と呼んだものに当たる。
I−b類文字の印刻をもたず、神話的シーンあるいは動物・建造物のみが刻まれた一群(この種の印章はドーラヴィラー遺跡における文明期以前の層(ドーラヴィラーIII)より出土することが報告されている)。
I−c類上半部に文字、下半部に主に動物が刻まれたいわゆるインダス式印章とされるもの(図1 中の一角獣に関して言えば、「まぐさ桶」や肩部の装飾品が欠如しているため、インダス式「一角獣」の祖形ではないかと考えられる)。
I−d類印面を持たないもの。
II類鈕の平面形が概ね円形または(隅丸)方形で中央に幅広の浅い溝(=沈線)を刻んだもの。
III類鈕にV字形の深い溝が彫られ、平面上で左右対称のふたつの円形(稀に半円形)を形成するもの(溝の軸長が突起両端の軸線よりも長いため、鈕全体の角部分を結ぶと六角形となる(図2)。
IV類鈕にV字形の深い溝が彫られ、平面上で左右対称のふたつの並列する楕円形を形成するもの(溝の軸長と突起両端の軸線は長さが揃っているため、鈕全体の角部分を結ぶと四角形となる(図2)。
V類鈕を持たないもの(「印章自体に選考が施されているもの」と「板状のもの」とに大別できる)。
VI類その他。

※図中ではII〜IV類における断面形の差異も模式化されているが、それは著者の漠然とし た考えを付け加えたものでしかなく、ここにおける分類の基準はあくまでも鈕の平面形の よるものでしかない。

4.まとめ−鈕の型式変遷とインダス周辺地域との関係

[インダス印章の型式変遷]

 前章の型式分類をもとに、E.J.Hマッケイが提唱した製作工程(Mackay:1931; Mackay:1938)の再検証を行ない、上記の型式分類を時系列的な編年的枠組みで理解することを試みた(図3)。一般的に型式の変遷には技法の変化が伴うものである。II類に見られる浅い溝(=沈線)がIII・IV類においてはより深く刻まれ、これを「対称軸」として利用し、「整形」という更なる一工程を加えることで立体的な鈕を形成している。こうした観ドーラヴィラー遺跡III・VI期から出土される印章(VI期は文明期以降の層で、コンベックス・タイプを出土する)を考慮することで、ここではI類→II類→III類→IV類(IV類にはコンベックス・タイプの祖形と思われるものが含まれる(図1 参照)という組列が可能であると考えられる。

 

[インダス印章の系譜と展開・予察]

インダス周辺部に見られる印章との系譜関係を以下のように整理できる(図4)。

fig05

5.展望

資料の収集と問題点

謝辞

資料の実見・撮影については、パキスタン考古局局長サイードゥル・ラフマーン博士のご配慮により許可を頂くとともに、カラチ博物館、モヘンジョ・ダロ博物館、ハラッパー博物館を訪問した折、関係諸氏に親切なおもてなしを受けた。訪問にあたっては東海大学の近藤英夫教授と小磯学氏からお口添えを頂き、また名古屋市立博物館学芸員の川合剛氏には『世界四大文明 インダス文明展』展示資料の撮影を許可して頂いた。以上の方々に心より感謝を捧げたい。

なお、本レジュメは2002年3月に東海大学文学部に提出した卒業論文の要約である。

〈主要参考文献〉

Cook, G. 1994 A Harappan Seal at Berkeley. In J.M.Keonyer(ed.), From Sumer to Meluhha. Wisconsin Archaeological Reports, Vol.3, pp.199-206, Madison.

Joshi, J. P. and Parpola, A. (eds.) 1987 Corpus of Indus Seals and Inscriptions: 1 -Collections in India, Suomalainen Tiedeakatemia, Helsinki.

Kjærum, P. 1994 Stamp-Seals, Seal Impressions and Seal Blanks. In F.Hojlund and H.H.Andersen(eds.), Qala'at al -Bahrain, Vol.1: The Northern City Wall and the Islamic Fortress, pp.319-350, Aarhus University Press, Aarhus.

Mackay, E. J. H. 1931 Seals, Seal Impressions and Copper Tablets with Tabulation. In Marshall(ed.), pp.370−405.

―――― 1938 Further Excavations at Mohenjo-daro , 2 Vols., Government of India, New Delhi.

Marshall, Sir J.(ed.) 1931 Mohenjo-daro and the Indus Civilization, 3 Vols., Arthur Probsthain, London.

Mitchell, T.C., 1986 Indus and Gulf Type Seals from Ur. In Shaikha Haya Ali Al Khalifa, and M.Rice(eds.), Bahrain through the Ages the Archaeology, pp.278-285,Kegan Paul, London.

Shah, S. G. M. and Parpola, A.(eds.) 1991 Corpus of Indus Seals and Inscriptions: 2 -Collections in Pakistan, Suomalainen Tiedeakatemia, Helsinki.

ケノイヤー,J. M. 2001「インダス文明−美術工芸、象徴デザイン、技術を探る−(2000.9.30 友の会講演録)」『ORIENTE』23号、3−19頁、古代オリエント博物館.

後藤 健 1999「遺物の中の異物−インダス文明の遺物から−」 『考古學雑誌』第84巻,第4号、70−88頁、日本考古學會.

宗臺秀明 1999 「インダス地域の編年と課題」近藤英夫(編)『古代オリエントにおける都市形成とその展開』39−46頁、東海大学考古学研究室.

ビシュト,R. S.(近藤朋子ほか訳)2000 「インダス文明研究−インドにおける過去50 年間の成果」『世界四大文明インダス文明展』23−26頁、NHK、NHKプロモーション.